2006年12月13日水曜日

表面と本質

「学校の勉強は、社会に出ても役に立たない」
って台詞は、学生なら口に出さずとも一度は考えた事があると思う。

日常生活で微分積分を使う機会は無いし、熱力学第二法則を知らなくてもエントロピーは勝手に増大するし、ナポレオンがセントヘレナ島で死んでようと知ったことじゃない。
受験の為の、記号暗記学としての勉強。それも確かに間違いではない。


しかし今思えば、学校での勉強の本質は『扉』の役割だったのだろう。
無から好奇心は生まれない。だから知識の扉として勉強というパッケージに包んで刺激を送る。
その刺激から探究心が生まれ、積み重なり、論理的思考を養って人生に応用を利かせる。
これは、暗記が全ての受験という題目とは全く別のベクトルにあるものだ。だからこそ、かき消されて見えづらい。


そのことを理解せずに「役に立たない」と言ってパッケージをゴミ箱に捨て、扉を開けないまま立ち去るのは、かなり勿体無いんじゃないかなぁ。
そして、「勉強は出来るけど頭が悪い」というタチの悪い合併症みたいなのが起きるのも、この勉強の本質を理解していないせいという気がする。




で、何で急にこんな事を言い出すかと言えば、実際私は冒頭の台詞を平気で言うような学生だった事をふと思い出したから。
あの頃より、少しはマシになってるはず。多分。

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