2006年12月31日日曜日

平和を実感する

現在の憲法九条を改正するかどうかって問題は、軍事拡張・縮小の関係が囚人のジレンマ的な側面を持つ為、難しい問題ではある。

自分の中では明確に賛成か反対かの答えはあるが、それをネットでぶち上げて無用な議論を呼ぶのが賢いとは思えないので、適当にお茶を濁しておこうと思う。


これだけでは何なので、全体的な所感として。

よくある討論の内容聞いていると、あぁ日本って本当に60年間平和だったんだなぁと噛み締める。
実際侵略が起きたとか、一度でも本土にミサイルが飛んできたりしてたら、こんな体面と国語レベルの議論はしていない。

もしそうなったら、まず「なぜ防衛だけなのか。攻撃してきた国に容赦する必要があるのか」という理論になる。世論がそうなる。
こればっかりは断言してもいい。
そうすると今より過激な改正案が超速で国会を通過するのは、火を見るより明らか。


現在そうはなっていない事を素直に喜ぶべきだし、100年先もこのレベルの平和な議論が続いてる状況だといいなと感じる。力のない一市民としては。

2006年12月30日土曜日

素晴らしきCM

【 MacのCM 】
M「どうも、マックです」
P「こんにちは、パソコンです」

~中略~

P「私にもクールなソフトが色々ついてますよ」
M「へー、例えば?」
P「計算機」
M「・・・あとは?」
P「時計!」
M「・・・(苦笑)」


【 ソフトバンクのCM 】
全員「ごきげんよう」
A  「じゃあ試合の件は電話して。9時までに」
B  「うん、携帯かけるね。9時までに」
C  「キミちゃんにも電話するね」
キミ「いいよ私にかけるとお金かかるし」
B  「そっかソフトバンクじゃないんだ」
キミ「ごめん・・・」
B  「いいよ。キミちゃんが悪いんじゃないんだし」
AC 「そうだよ。気にしないで」



他人を低く見せる事で自己の優位性をアピールする、というのは人間同士ではありがちで情けない光景だが、それをナチュラルにCMでやっちゃうという感性がよくわからない。
Macも大概アレだけど、ソフトバンクは更に突き抜けてアレだろ。
自由過ぎて手がつけられない。

2006年12月28日木曜日

リアルでは恥ずかしくて言えない事

物語とは、限られた五十音を組み合わせただけ。
音楽とは、いくつもの音階を並べただけ。
映像とは、色々な場面を繋ぎ集めただけ。
絵とは、沢山の色を紙に乗せただけ。

それだけのものなのに、なぜ心に何かを残していくんだろう。
たまに不思議に思う。
そんな事考える方が変なのか?とも。

2006年12月27日水曜日

日本では通用しないかもしれない文化

イギリスかデンマークだったかと思いますが、自信がないので欧州という大雑把なくくりにしておきます。

ある列車のサービスで「降車駅表示バッジ」が配られるという。
これは乗車前に白紙のバッジを受け取り、目的駅を記入したあと乗車中つけておくのだそうだ。
そうすればたとえ寝てしまっても、目的駅で誰かが起こしてくれる可能性が高くなるというわけ。
もちろんバッジをつけるのは任意。起こしてあげるのも自由。善意によるシステム。


最初このシステムを聞いたとき、いいシステムだなと思った。
で、日本でも導入できないかなと考えた。あぁ、多分無理だなという気になった。
理由は三つ。

1.日本人的気質に合わない(他人にあまり関心がない等)
2.性質上、過疎線では意味がないし過密線は往路復路の本数が多いので、寝過ごしてもすぐ戻れる。海外のように寝過ごしが致命傷ではない。
3.通勤・通学・遊び等で使用頻度の多い在来線では、色々と危険(ストーカーなど)

一つのメリットの為に複数のデメリットが生じてしまう。それならば現状維持の方がまだマシ。
ただこの三つのデメリットを打ち消すメジャーな路線がある。新幹線だ。

1.基本的にシート制の新幹線は、他人の事が視界に入りやすい。
2.寝過ごすと1時間2時間はロス。
3.主要駅から乗換えが普通なので多少安心。

JR関係者さん、いかがですか。
とりあえず試験的に新幹線のシートにホワイトボードでも付けてみるとか。



唐突にこんな事を考えたのは、本日、名古屋で降りるつもりが見事に京都まで寝過ごしたからです。
余裕を持って出たから良かったものの、かなり自業自得。
新大阪までいかなくてよかったとポジティブに考える事にする。

2006年12月26日火曜日

例外の例外によるパラドックス

「この世界に例外のない法則は存在しない」

私の知る限りの法則においてはその通りで、反論しようがありません。
ただこれを受け入れてしまうと、一つのパラドックスが生まれます。

「この世界に例外のない法則は存在しない、という法則に例外はあるか」

例外がなければ最初の法則が否定され、矛盾します。
例外があるとすると「例外のない法則」が存在することになり、やはり矛盾します。

このように否定したい事柄に自分自身が含まれているものを「自己言及のパラドックス」と言います。
類似例は、「クレタ人は嘘つきだとクレタ人が言う」など。


こういう事を考えるのが何かの役に立つのかと言われれば、多分役に立たない。
無駄に考え過ぎるのが悪い癖だと、たまに思う。

2006年12月25日月曜日

無人島プラン

ノートPCで必死に設計書作ってると、素敵同僚が話し掛けてきた。

同僚「無人島に一個だけ持っていけるなら何にする?」
私 「近々無人島に行く予定はないよ(タイピング中)」
同僚「そうじゃなくて。もしもの話」
私 「んー、PC(タイピング中)」
同僚「電気ないからバッテリー分で動かなくならない?」
私 「じゃあ自家発電機(タイピング中)」
同僚「いや自家発電だけあっても」
私 「自家発電機とノートPC(タイピング中)」

今考えると、すげー適当に答えてた気がする。気がするというか、間違いなく。
すまん、同僚。

ちなみに持っていくとしたら、やっぱりPCです。
電気は自分で自転車こいで発電したいと思います。

2006年12月23日土曜日

オレオレ詐欺の新種が発見されました

種別:オレオレ詐欺 ver.Xmas
感染サイズ:1分~数時間
影響を受けるシステム:15歳~60歳までの女性


【詳細挙動】
「あー、オレだけど。車が壊れたからデートは変更で○○駅で待ち合わせね」と彼氏になりすまし、出てきた女性をひたすらナンパする。

【危険度の評価】
・被害状況・・・感染数:n/a 感染報告数:0件
・リスクインパクト・・・デートがポシャる可能性がある。
・感染力・・・クリスマス時期だけに平時より感染力を発揮する。

【テクニカルノート】
折り返しで彼氏に電話してみる。
彼氏が車を持っていたかどうか思い出す。
○○駅が現住所から1時間以内で到達できるかを考える。
彼氏と呼べる人がいる事を確認する。

【推奨する感染予防策】
登録外番号の着信拒否を行う。
または、携帯の電源を入れない。

【駆除方法】
承知の上、出向いてシバき倒して警察に突き出した後で帰る。
相手は懲りて感染力が弱まります。




(テンプレートは、某ウイルスソフト会社のを使用)

2006年12月22日金曜日

将の将

またまた前回の事に少し関連する事ですが、ふと思い出したので備忘録がわりに。
※多少意訳あり

韓信「我が君は、指揮官としては精々1000人程度を扱うの器です」
劉邦「では君の指揮官としての器はどれほどか」
韓信「数万、数十万。多ければ多いほど良い」
劉邦「・・・」
韓信「しかし我が君は、私のような指揮官を何十、何百人と扱える器です。これは非常に得難い」


劉邦とは漢の皇帝、韓信はその配下の名将です。
分かりやすく置き換えれば、社長と部長くらいでしょうか。

劉邦のような器の正体が何なのかは、私の中で明確な答えはまだ無い。人徳と言ってしまえばそうなんだろうけど。
そのうち分かるようになれれば良いと思う。

2006年12月21日木曜日

歴史における戦術論

二日続けてこの手のお話です。興味の無い方、すみません。

前回、「戦略上の劣勢は戦術では補えない」という事を言いましたが、歴史的に見れば例外も存在します。
以下がその例。(私の歴史認識における範疇です)


・桶狭間の戦い (織田信長:日本)
・垓下の戦い (劉邦:中国)

※ナポレオンのロシア戦役やジャンヌ・ダルクのオルレアン解放も考えましたが、厳密に言えば違うと思うのでここでは除外


長い長い人類の歴史の中、数万数十万とあった戦いの中でたった二つ。
だからこそ有名になり、英雄になるわけですが、最初からそれ目当てで戦うようでは勝利などおぼつきません。
そういう人が指揮官の場合、戦う前から既に負けており、従軍する人にとっては不幸でしかない。


戦略で優位に立ち、その上で有効に戦術を駆使する。
戦争は九割九分九厘、それで勝敗が決まる事を認知しておくべき。

2006年12月20日水曜日

戦略と戦術

「Fantasy Earth Zero」で感じること。あまりに我が軍が劣勢なので。
まず最初に定義をはっきりさせておこうと思う。

・戦略 = 戦争全体の流れ
・戦術 = 局地的なPvPでの戦闘

通常、戦術が有効な手段となるには、その戦術が戦略の中で意味がある場合に限られる。
つまり、戦略が存在しない場合の戦術は無駄な作業でしかない。

逆説的な言い方になるが、戦術上の失敗による劣勢は戦略で補う事ができる。
しかし戦略上の失敗による劣勢は、戦術では補えない。再度逆転できる戦略を練る必要がある。
戦術は点でしかない。その点と点を結んで戦略にしてこそ勝機がある。


本来はこうあるべきなのだが、どうも皆は戦術を重視したがる傾向にある。
そりゃ前線でドンパチやれれば楽しいでしょうけど。
というか、私もやりたいですけど。


そして世の物語やアニメ(特にガンダム)などでは、「戦術によって戦略を補う」という形態が非常に多い。
これは「可能だから」ではなく、「その方が派手でカッコイイから」
現実と幻想は違うものだ。夢のない言い方だけど。

2006年12月19日火曜日

社会人らしい知的な会話

同僚A「毎年、クリスマスのカップルは死ねと言ってきたけど、今年は少し成長した」
私  「というと?」
同僚A「カップルが死んだら女も数十万人死んでしまうではないか。それはよろしくない」
私  「それはそうだね」
同僚A「なので今年からはカップルは男側だけ死ね、に変更します。そうすれば俺もいつかはモテます」
私  「おお、Aさんはもしかして天才じゃなかろうか」

同僚B「不毛だ・・・」

2006年12月18日月曜日

問題の続き ~解答編~



3つのうち1つを選んだ後、ハズレの方を見せられて交換を持ちかけられる場面。
交換した方がいいのか、しない方がいいのかと悩む。どうするべきか。

※前日の問題の答えになります。前日分を未読の場合、先にそちらを読む事をお勧めします。



では、解答。
確率的な話でいえば、「交換した方がよい」となります。
なぜなら箱に賞品が入っている可能性は、

交換しない場合・・・33%
交換した場合・・・・66%

だからです。
「なんで?2つしか箱が無いんだから50%づつじゃないの?」
と思ってしまうのが普通かもしれません。


この問題は、対象の数を増やせば分かりやすくなります。
なので、「100個のうちから1個を選んだ後」に問題を変えてみましょう。

100個のうち1個を選びました。
司会者が「残り99個のうち、この1個以外は全てハズレです。交換しますか?」
選んだ箱ともう一つの箱、どちらに賞品がある確率が高いだろう?

こうなると、感覚的に「50%・・・?」と疑問符がつくと思います。
それは当然の事で、選んだ箱に賞品がある確率は1/100。つまり1%。
もう一つの箱に賞品がある確率は、残りの99/100。なんと99%!
選んだもの以外の99個を1個に限定した時点で、全体の確率がその1個に集約されてしまうのです。

つまりこの問題の本質が、
「1%と99%、どちらを選びますか?」
という二者択一のものに変わったわけです。
これを踏まえて最初の問題を考えると、納得できるかと思います。

※分かりやすく絵にしてみたので、参照してください。


何だか納得できないという方は、実際やってみると良いかもしれません。
それでも納得できない方は、気軽に御質問してくれればお教え致します。スパルタで。



ちなみにこの問題、正式には「モンティホール問題」と呼ばれています。
「モンティホールのジレンマ」「モンティホールのパラドックス」などとも呼ばれる事もあるようですが、問題自体はただの確率論なのでジレンマなどありません。
ジレンマが起こり得るのは、また別の場合。その話はまた後日にでも。

2006年12月17日日曜日

テレビ番組で商品をゲットする方法



まず最初に、あなたの想像力を少しだけ貸してください。
今一番あなたの欲しい物は何でしょうか。

プラズマテレビだったり、ドラム式洗濯機だったり、車だったり。もうぶっちゃけ、現金でもいいです。
それが『賞品』として出され、見事当てる事が出来たらプレゼントという番組に出たと思ってください。


あなたは見事優勝しました。最期に賞品の入った箱を選べれば、賞品ゲットです。
三つ提示された箱のうち、一つを選びました。
そこで司会者が言います。
「残り二つのうち、こっちはハズレです。もう一方へ変更しませんか?」
司会者は当然答えを知っています。交換を持ちかけるのも常套句です。
うむむむ、交換した方がいいんだろうか?

※分かりやすく絵にしてみたので、参照してください。



答えは日付変更の後で。(テレビ風)

2006年12月16日土曜日

更に無駄知識をオマケでプレゼント

閏年の話をしたので、オマケで「うるう秒(以下、閏秒)」について。
閏秒とは、ある特定日(大体の場合、新年)に1秒を足したり引いたりする事で調整する時間の事を指します。

こちらは閏年のように明確な挿入パターンはなく、「あー何だかズレてきたなぁ」って時に挿入されます。結構アバウト。
だから3年に1回だったり7年に1回だったり。
最近挿入されたのは2006年1月1日です。(1999年から7年ぶり)


この閏年と閏秒、違いを分かりやすく言えば以下の通り。

閏年・・・地球の公転時間とカレンダーのズレを調整
閏秒・・・地球の自転時間と世界基準時計のズレを調整

つまり目的そのものが違う為、閏年を閏秒で補うとかはできません。
名前が似てるだけ、という話ですね。

そして二つの名前に共通する「閏」の意味は、「余分なもの・余計なもの」
語源は「うるおう(潤う)」を暦用に呼び方を変えたという説が有力です。
水が潤うということは、水が普通より余分にあるってことですから。


以上、引き続き無駄知識でした。

2006年12月15日金曜日

無駄知識にも程がある

さて、今日は「うるう年」の話。
うるう年(以下、閏年)のルールは、以下のようになります。

1.基本的に、4で割り切れる年は、閏年とする。 (例:1996年)
2.例外として、100で割り切れる年は閏年にしない。(例:2000年)
3.更に2の例外として、400で割り切れる年は閏年とする。(例:2000年、2400年)
4.しつこく更に3の例外として、3200で割り切れる年は閏年にしない。(例:3200年)

1.2.3までは知ってる人は結構いると思いますが、4はあまり知られてませんね。
というか、西暦3200年って遠すぎる。かなりどうでもいい。


そもそもなぜ閏年が必要なのかというと、地球が太陽の周りを一周する正確な時間が「365.24219日」だから。
1のみだと、365.25日しか補正できず、
1&2だと365.24日、
1&2&3で365.2425日まで補正でき、
1&2&3&4で365.2421875日まで近づける事ができるからです。


ただし何より大きい例外は、「地球の公転が徐々に遅くなってきている」という事。
つまり「365.24219日」というのは現時点の時間であり、そこから計算すれば4が必要というだけ。
実際3200年近くになればもっと遅くなってる可能性が高い。


西暦3150年くらいの人類、頑張って再計測してください。
まだ絶滅してなければ、ですが。

2006年12月14日木曜日

不思議な物質

『液体なのに、鉄より固いものと言えばなんでしょう?』
分かった人は手の施しようが無いの雑学マニアか、化学系の職員だろう。



正解は「ガラス」
何だか矛盾に満ちた答えですけど、一休さん並のとんち話やナゾナゾとかそういうレベルではなく、事実そうなのです。


まず第一に、「ガラスって固体じゃん」と思われるかもしれませんが、分類上は液体です。
「固体に見える液体」と言えばいいのでしょうか。液体の粘性(ねばり気)が極端に高くなって形を保ってる状態と考えてください。
なぜそういう事が起きるのか、という事を説明し出すとガラスの分子構造まで話さなければならなくなるので、割愛。
「通常の転移点が存在しないから」と憶えておくといいです。
転移点とは、物質が固体→液体→気体と相転移するポイントの事。融点とか沸点とか、そういうやつです。


では次の疑問として、「鉄より固い」というのが挙がります。
ボールが当たっただけで割れるようなのが鉄より・・・?と思われるかもしれません。
あれはガラスそのものが弱いからではなく、変形させた後に冷却する時に出来る無数の傷のせい。
肉眼ではもちろん見えず、電子顕微鏡でやっと見えるくらいの傷ですが、それがガラス中に存在してます。
ヒビの入った容器が割れやすい、という事と同レベルのお話。
逆にその傷を一切無くしてしまうと、鉄より固い物質の出来上がり、というわけです。



こういう当たり前に見えて実は不思議なものが沢山あるから、世界って面白い。

2006年12月13日水曜日

表面と本質

「学校の勉強は、社会に出ても役に立たない」
って台詞は、学生なら口に出さずとも一度は考えた事があると思う。

日常生活で微分積分を使う機会は無いし、熱力学第二法則を知らなくてもエントロピーは勝手に増大するし、ナポレオンがセントヘレナ島で死んでようと知ったことじゃない。
受験の為の、記号暗記学としての勉強。それも確かに間違いではない。


しかし今思えば、学校での勉強の本質は『扉』の役割だったのだろう。
無から好奇心は生まれない。だから知識の扉として勉強というパッケージに包んで刺激を送る。
その刺激から探究心が生まれ、積み重なり、論理的思考を養って人生に応用を利かせる。
これは、暗記が全ての受験という題目とは全く別のベクトルにあるものだ。だからこそ、かき消されて見えづらい。


そのことを理解せずに「役に立たない」と言ってパッケージをゴミ箱に捨て、扉を開けないまま立ち去るのは、かなり勿体無いんじゃないかなぁ。
そして、「勉強は出来るけど頭が悪い」というタチの悪い合併症みたいなのが起きるのも、この勉強の本質を理解していないせいという気がする。




で、何で急にこんな事を言い出すかと言えば、実際私は冒頭の台詞を平気で言うような学生だった事をふと思い出したから。
あの頃より、少しはマシになってるはず。多分。

2006年12月11日月曜日

乗馬のススメ

個人的趣味の話をしても仕方ない、と思って今まで避けてきたけど、ネタが無くなったから書いてみることにする。

趣味は乗馬です。
小さい頃から何故か馬が好きで、飽きもせず眺めてるような奴でした。
我流で少しは乗れてたけど、ちゃんとした技術を習得しようと思い、つい最近グランドオープンした乗馬クラブに入会。
休むべき土日の時間がガンガンに費やされてます。ハマり傾向。やばい。面白い。


馬は突き詰めて考えていけば、車やバイクと同じ「乗り物」です。
しかし最も違う点は、そこに一個の意思があること。道具ではなく、生き物だという所です。当たり前ですけど。

車はブレーキを踏めば止まるし、ハンドルを切れば曲がる。アクセルを開ければ加速。
誰がやってもそう動く。あくまで道具だから。
でも、馬は騎乗者の考えている事を理解してくれないと動かない。生き物ですから。
そこが面倒だと言う人がいるのも分かります。でも私にとっては、そこが一番面白い所だと思うのです。
自分の考えている事が伝わって、その通りに動いてくれた。
馬と人間という違う種類の生き物なのに、何か一本の糸が繋がったような感じ。これは何事にも変えがたい事じゃないだろうか。


ミーティングの時に「目標は?」と聞かれて、皆が

「障害を飛びたい」
「草原を走りたい」

とか言ってる中、

「人馬一体」

と言って浮いちゃったけど、私が乗馬を続ける理由はそれだから、忘れず大事にしていこうと考えてる。

2006年12月10日日曜日

詠み人知らず

星を掴もうと夜空に手を伸ばしても、きっと掴む事はできないだろう。
だが天高く掲げたその手は泥を掴む事もまた、無いのだ。
                                 (作者不詳)


どこで見たかは忘れましたが、忘れられない言葉です。
自分を磨く一番の理由は、この言葉に集約されていると思う。

完璧な人間にはなれないと知りつつ、磨き続ければ最悪な人間にはならないで済みそうだ。
ふと無駄に思える時もあるけど、今はこの言葉を信じられる限り信じてみたい。


心に残る言葉は、いつだって凝縮された短い文章だ。
長文癖のある私は、もっともっと手を伸ばすべき。

2006年12月8日金曜日

因果関係としての時間の認識

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以下の問いに答えよ(5点)


問1.
52枚のトランプがあります。
その中から無作為に1枚抜き出して箱に入れます。
その後、新たに3枚取り出してみると、全てダイヤでした。

この時、箱に入っているカードがダイヤである確率を求めなさい。


問2.
52枚のトランプがあります。
その中から無作為に3枚取り出してみると、全てダイヤでした。
その後、新たに1枚抜き出して箱に入れます。

この時、箱に入っているカードがダイヤである確率を求めなさい。
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/


【答え】
問1. 1/4
問2. 10/49


・・・ではありませんよ?
問1.問2.ともに10/49です。

問1.は52枚の中から1枚引いている。だから1/4。
問2.は既に3枚引かれた後の49枚から1枚引いている。だから10/49。
そう考えてしまうからでしょう。
手順からすると問1.の「3枚を取り出す」のは無駄に思えるしね。
でも、問題全体からしたら必要な情報・条件です。

多少言葉のマジックもあるでしょうが、こう考えてしまうのは「時間軸」が絶対的なものとして私達の生活に食い込んでいるせい。
絶対視してしまうと、見えないものも出てくる。
特に物語を書く上では柔軟さを損なう事になるかもしれないから、注意したいと思う。

2006年12月7日木曜日

血液型と性格

あなたの血液型は、何型でしょうか。
A型、B型、O型、AB型。Rh式では大体の人がRh+型。
2000人に1人と言われるAB型/Rh-の人もいるかもしれませんね。


では、その血液型は死ぬまで変わらないものでしょうか。
答えは、NOです。
理論上の話ではなく、実例のあるお話。


血液は、造血細胞から作成されます。各種血液型はこの時点で決定します。
造血細胞の元となる造血幹細胞の多くは、骨髄に存在してます。
白血病治療などで骨髄移植が行われる場合、まず患者の造血幹細胞を放射線で破壊し、移植します。

お分かりだろうか。
例にして言えば、以下のようになります。

・患者  → A型
・ドナー → O型

1.骨髄移植前に放射線を照射 → A型の造血幹細胞が破壊
2.ドナーの骨髄を移植 → O型の造血幹細胞が定着

結果、A型だった患者の血液型はO型に変わる事になります。


そしてその場合、几帳面だった人が大雑把な人に変わったりするのかな、と意地悪な事を考えたりもする。

2006年12月5日火曜日

マスコミ論

「歴史は戦争に勝った国が作る」
とはよく言ったもので、絶対的勝者あるいは影響力が大きい存在の言葉が、錯覚を伴う真実として伝えられることは、一種の心象学的定理とも言える状態で我々の無意識領域へ浸透していると言える。
その一つとして上げられるのが「権威主義への服従」であり、その一番よい例はマスコミだろう。


マスコミ(主にテレビメディア報道)は、生活へ浸透し、身近で、ネットワークを保持し、体裁を整える術を知っているが為、見る側にとっては文学的言葉を使えば「天啓」を錯覚させる。
それに加え、反論する術が無い・・・逆に言えば、反論する必要性が皆無という状態では、人間は外部からの刺激を無批判に受け入れてしまう傾向にある。
「テレビで言ってたから」というのは、誰しも一度は言う台詞だ。


一昔前に比べてネットが発達し、情報化社会と呼ばれる現在でも、まだ今のところ勝者的立場にあるテレビの存在を無批判に受け入れる事は、「意図的に世論を作り出される」という危険性を伴う。
はっきり言ってしまえば、情報なんて物は事実と証拠が揃っていれば成立する訳で、現在の民放各局が置いているコメンテーターなる偉そうな肩書きの人々は「視聴者のイメージ操作をする為の媒体」でしかない。


では、NHKのような事象のみを淡々と伝えるスタイルになれば解決するのか、と言われればそう単純な話でもなく、コメンテーターを介さない情報操作方法はいくらでもあるので、器が変わっただけで中身は変わらない状態になるだろう。
そこまで考えてしまうと、じゃあもうマスコミなんていらねーじゃん、という結論になる。


マスコミは情報操作しかしない。だから無くなってしまえ。
そう言うのは確かに簡単だ。だがそれを言う前に、少し先の事を考える必要がある。
マスコミという存在が無くなったと仮定して、一個人がマスコミと同レベルの情報収集が行えるのか、という点だ。
映像で言えば1~2分で終わる程度の記者会見や、現場の状態中継、情報ソースの確認など、個人が自由にできる時間の数十倍に相当する時間が費やされている。
つまり意欲云々の話ではなく、ゼロからのスタートでは個人がマスコミの情報力を凌駕する事は、物理的に不可能なのだ。


今のマスコミの唯一といっていい長所は、この組織・ネットワークからもたらされる情報力である。
ならばこの部分を最大限利用する方が、効率がいいし最も楽な方法だと思う。
もたらされる膨大な情報の真贋を判定するというスタンスならば、個人でもマスコミの情報力を凌駕する事が可能だ。


マスコミを踏み台にしつつ、自分で考える。
そうすれば、氾濫する情報の中でも正気を保っていけるだろう。







そして、この理屈を早速鵜呑みにするのも危ない。
踏み台にして考えるが吉。

2006年12月3日日曜日

ペットショップでの一コマ

店員「カードをお作りしますので、猫ちゃんのお名前をよろしいですか?」
私  「シ・・・シロデナシです」
店員「え、シロデ・・・ナイちゃん?」
私  「シロデナシ」
店員「あーなるほど。白くないから。じゃあ黒いんですねー」
私  「そう黒くもないんです、実は」
店員「で、でも可愛い名前ですよね。シロちゃん」


なんか、凄い気を使わせたみたいで恥ずかしかった。
無難な名前にしとけばよかったと思うのは、こんな時。ごめんね、店員さん。
というか、やっぱりフルネームでは呼ばれないのは仕様と言うしかないのか。 やれやれ。


帰ってみると、当の問題児がゴミ箱を盛大にひっくり返してナイロン袋食べてました。
シバいたろか、お前。

2006年12月1日金曜日

たまには役に立つかもしれない豆知識

出張続きでぐったりなので、知識丸投げで遁走する事にする。


-------平成何年か分からなくなった時の判断法-------
西暦の下二桁が24時間制の午後時刻に対応してます。逆引きも可。

(例)
西暦2000年=平成12年 → 午後00時=12時
西暦2001年=平成13年 → 午後01時=13時
西暦2002年=平成14年 → 午後02時=14時



西暦2011年=平成23年 → 午後11時=23時

※午後12時という表記は無いので、西暦2011年まで。
※ちなみに来年は、午後07時なので19時=19年


書類筆記で困った時は是非。
西暦も年号も忘れた場合は、何とかしてください。気合で。