2006年11月12日日曜日

物書きのジレンマ

科学的手法、とはどういう事か。
大まかに分別すれば、

1.予測し、
2.観測でき、
3.確認され、
4.追証が可能であること(再現性)

となる。
それを踏まえた上で、大多数の物語が抱える問題とは、

「2以降が欠落する=科学的ではない」

という、ある意味では致命的弱点と言えるものだ。
では、それを回避する為に主に行われる作業はというと、

・物語内では確立されている理論であるとする(既定派)
・未発見の新理論が存在するものとする(森羅万象派)
・一部のみ現実理論に追従する(疑似科学派)
・あえて言及しない(割り切り派)

大体こんなところだろうか。
結局はどれも「もっともらしい話で科学的だと読み手に錯覚させる」ということは一致している。
逆に言えば、物語というものを「科学的であるか云々」で判断を下す事自体、論点がズレてるという事になる。
トンデモ科学に見えようが面白ければ正解。そういう事なんだろう。

そしてこんな当たり前の事をもっともらしく解説する時間があるなら、私はさっさと物語を書いた方がよい。
やれやれ。

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